器の好みは…
教室スタートのきっかけとなったのは、四半世紀ほど前、当時代官山にあったリチャード・ジノリのサロンで顧客の方向けのイベントのお菓子を焼かせて頂いたことでした。
洋菓子研究家加藤千恵先生のアシスタントを卒業してからも、しばらく独立するつもり(自信?)などなかったのですが、兄の紹介で当時ジノリのプレスをされていた遠藤眞実さんと知り合って、いろいろ応援して頂いて今があります。
教室の食器の殆どは、スタート時に眞実さんにお世話になって一式揃えたもの。8枚揃えにしたものだから数だけは膨大ですが、種類はそんなにありません。今でも大事に使っている基本の洋食器のムゼオビアンコ↑、ディナープレートはもうワンサイズ大きくてもよかったなぁ、と思うのだけど、このシリーズは何より丈夫で、飽きもこないし、特にエスプレッソカップなどはいつ眺めても綺麗なフォルムだなぁ、って。
ジノリにも数あるカラフルな食器の中からひとつだけ揃えた柄物がグランデューカ、何度か過去ブログにも書いています。
不思議なことですが、教室をスタートしてイタリア料理業界に働くお知り合いが増えてからというもの、プライベートでイタリアンの食事をだすと「玉緒さんの料理はなんとなく濱崎さんに感じが似ている」と言われることが多かった。
リストランテ濱崎の濱崎シェフと当時の私では調理技術は雲泥の差があったかと思うのだけど、味つけや食材の組み合わせ、盛り付けなどが似ていると。そして、しばらくしてから、お店を訪れる機会があったのですが、濱崎シェフのところでも(ヴェッキオではなく)ムゼオビアンコを使ってらして、私がグランデューカと最後まで迷ったスカーラも上品な店内で活躍していました。
長く通ってくださっている生徒さんにも濱崎シェフの顧客の方もいらっしゃるし、なんとなくいろんな意味でシェフと私は好みが似ているのかな、なんて(勝手に…スミマセン!)思っています。
ホントはこんなに山積みにしてはいけない食器です…
モノはなるべく増やさない主義ですが、和食を教えるようになって、必要に迫られて、実家から運んできたり、たまに新しく購入したり。
亡き母の選んだ食器↑は、昔はピンとこなかったのだけど、和食には少し深さがある皿が盛りやすいことも多く、自分が昔夏の講座の和食のために揃えた食器より出番が多い。
自分で選んだ器↑と実家の器はテイストが若干違いますが、私が選ぶような食器ばかりだと主張が強くて、一品ずつ出すようなお店ならともかく、普段の食卓にずらっと並べるには不向きですよね。
現代モノの作家さんの器は、素敵だなぁ、と思っても手が伸びないのですが…若い頃は興味がなかった九谷焼などは、「こんな料理はもう少し華のある器に盛り付けてみたいなぁ」と思うシーンもあって購買欲が沸くのだけれど、まぁ、まずは器負けしないよう、和食も腕を磨きます。
グランデューカのことやら器のこと、10年経っても思いはさほど変わらないようで、「グランデューカ」で検索したら出てきた過去ブログをもう一つ↓。今はフランフランよりさらに近いザラホーム専門、セールを狙ってたまに新しい器を買っています。
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