久しぶりの「丸ごとレモンのマフィン」とイタリア文学、そしてアフターコロナの世界
先週食材ピックアップにいらしたご近所にお住まいの生徒さんに、瀬戸内レモンを頂いたので、久しぶりに「丸ごとレモンのマフィン」を焼いてみました。
昨夏教えたウィークエンドシトロンのように、食用ラベンダーも少し散らして、作っている間、焼いている間もいい香り、お菓子作りはそれも魅力ですね!
★早速ですが、大事なことなので先にお断りしておきます。驚いたことに!昨日のレシピ、肉と牛蒡を一緒に炊くことが抜け落ちていました。「再現性の高いレシピを謳っている」と大きくでておきながらこの始末(苦笑)、大変失礼いたしました。自分で気づいたのですが、単発で教えたものにはこういう間違いも確かにあって、今後も?があったら是非教えてください、と急に弱気に。
お休みの間に「やるべきリスト」を片付けようと、「落ち着いて時間ができたらやらなくちゃ」と思っていたことに取り組んでいます。(ちゃんと落ち着く日は少し先になりそうだから)いろいろ連絡とってお話したり、ずっと送ろうと気がかりだったものはスケジュールを決めて送ったり。
急がば回れで、生地は絞り袋に入れたほうが均等に型からはみ出ずに流せるものですが、お家だったらスプーンでも大丈夫ですよ。
随分前にギリシャ在住のブロガーのかたに教えて頂いたレシピを、メールでお断りして少しアレンジして作っています。丸ごとレモン1個を焼き込むので少し重い生地、ふわふわには膨らまないけど、食べて重たいわけではなく、わたの苦味が少しオトナでよい感じです。
水やりするたびに思い出して笑ってしまうのだけど、「藤を寄植えにしているのを初めて見た」と大抵のかたに驚かれる藤の木、だんだん枝ぶりがよくなってきました。
さてさて、物理学者でもあるイタリア人作家パオロ・ジョルダーノの「コロナの時代の僕ら」、SNSの本のリレーで今朝お知り合いが取り上げていらしたので思い出したましたが、イタリアが大変になっていたことに胸を傷めていたこともあって出たときにすぐに読みました。
陽気なイメージがある国ですが、北イタリアにはシリアスな方も多いし、「イタリア文学」はテーマがコロナではなくても大抵においてなぜか、「静かで、ヒンヤリとして、暗い」イメージ(=私の個人的な印象)。
この作品はエッセイなので時間をかけずにさらっと読めるので、しみじみ深く感じ入ったわけではないのですが…「ロックダウンは緩和」といってもイタリアも残念ながらまだ完全終息には遠いのに、備忘録のように綴っているせいなのかな、全てもう終わったできごとのように感じさせる不思議な読後感でした。そして、読んだかたが皆さん仰っているように、最後の筆者のあとがきに全てが集約されているように思います。
「コロナウイルスが過ぎたあとも僕が忘れたくないこと、すべてが終わった時、本当に僕たちは以前とまったく同じ世界を再現したいだろうか」
あれ?blogでは、明るく、楽しくおいしいことを綴ります、と言っておいて、これまた失敗!しているような気が…コロナの時代前半の読書は、グレートストーリーテラーのフィクションに限るのかな。
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